i-class collection

ばーばと南 + Run&Music

ひまわりの種ほどの感謝と、単3電池ほどの信念

自分が理解したり

同意したり

賛同したり

そうであってほしい

と願っていることが

 

 

「正しい」と思いこみ

 

 

それ以外は「間違っている」

と判断していないだろうか。

 

 

そして何事も「正しい」か「正しくない」かに

分けて物事を考えていないだろうか。

 

 

 

といつも自分に言い聞かせるようにしています。

 

 

 

自分を語るのをやめなければそれはできません。

 

饒舌なことばを捨てて静かに耳を傾けたいものです。

 

 

 

立場が違えば

すがりついている「正しさ」は簡単にひっくり返ります。

 

 

戦争や争いごとがなくならないはずです。

 

 

「正しさ」を求めたり、すがったり、振り回したりするのではなく

それぞれの「生き方」の差異であると考えるようにするといいのではないか。

 

 

 

社会人になった孫たちとよく話す内容の一つがこのことです。

 

 

なるべくそうあるようにしている。

できるだけ思いだしている。

少しはできるようになったかな。

 

 

孫たちは意識してこの課題に取り組んでいるようです。

「他人をコントロールしようとするから難しい」

と自信をもって話すようにもなりました。

 

 

 

 

 

ひまわりの種ほどの感謝と、

単3電池ほどの信念があれば

それはできるようになると思います。

 

 

孫たちには「私もまだまだ全然よ、こいうのは歳の問題ではないから」

と言い訳をしています。

 

 

私の感謝と信念はまだ針子(メダカの赤ちゃん)に与えるエサ程度なので、

この春に少し大きくしたいと思っています。