連日の雨で運動は沈している状態。
動かねば。
バックランジが効くよ、と友人から言われた話を思い出す。
バックランジなんて私に必要あるのかしら?
下半身を鍛えるといっても、いつも走ってるし。
今さらと思いながらも、どうせ走れないならやってみるかと始動開始。
YouTube動画でおさらいをし、簡単そうじゃんと余裕の笑みで姿見の前に立つ。
10回✖3セット。
チャチャっと終わらせて、「気持ちだけは充実です」というノリで終わる予定だったのだが………。
☆ ☆ ☆
いや、ぜんぜんできないぞ。
左右交互に行うも1セット目の5回目からふらつく。
そして、限界が近い。
えっ、そんなことって……。
この私がバックランジごときであり得ないわ。
5㎞を40分で走る世界的、いや間違いました、”ご近所的快速ロードランナー”の私にできないことなど……。
2セット目からは1回1回が苦痛。
きつさを理由に、フォームを崩してこなすのは絶対に嫌だ!!、と意地で10回をこなすものの、こんなに努力をしたのは久しぶりだし、歯を食いしばったのもいつぶりだろう。
3セット目はレップの間に休憩をとらないと進まない。
間違ってはいけないのはセットの合間の休憩ではないのですよ。
威張っていう話ではないが、レップの合間に休憩を取るのだ。
だって、元気玉も仙豆もないから。
このときの私をスカウターで見られたらほぼ0に近かっただろう。
これはいかん。世紀の大弱点発見。
世界には秘密にしておかないと。
意識と現実のギャップが、まだこの世にあった。
年齢を重なる=ギャップも増える。
正比例の法則はわかっていたつもり。
累進的?、いや加速度的に増えているのではないか。
走る筋肉と、足の筋肉の力(パワー)は別物なのだ。
これは年齢とは関係ないのですバイ。
☆ ☆ ☆
翌朝。
腿も大腿筋もお尻の付け根もぜーんぶ筋肉痛。
翌日に筋肉痛が来たからどうだとかいう思想はもうどうでもいい。
筋肉痛のレベルがMAX10だとすると私のは50。
効くってレベルではない。
友人も言葉を選んでほしいものだ。
人格レベルも0レベルに落ちる。
痛くて起きれない。
どっか断裂したんじゃないの?
いや、断裂したのは心。
朝露の中でこのまま眠っていたいとセンチメンタルにもなれず、今日はベッドにいたい気分なのといった歳でもない。
一日中隠しとおせるストーリーの捻出は無理だし、もう、未来のために頑張るのはよそうと思うくらいの深いダメージを負う。
あきらめるなと言っても無理なものはムリだし、という孫たちの意見に300%賛成する朝。
何をどうやっても足を引きずらないと歩けない。
だからいったじゃん、もう歳なんだから加減しないと、と絶対に家族中からいわれる。
なにやってんだかと言わせないために、「実は不治の病なの」といってしのぐことにする。
筋肉痛が治ったら、「若いから治ったらしいわ」とうそぶく。
藤井壮太君並みにいい手。
筋肉痛は3日で治った。
若いから。
ね。
3日で、ね。
決して3日も、ではなく。
こうなったら絶対に傘下に収めるべく、毎日やるわよ。
みてなさいバックランジ。
現在は2度目の筋肉痛に襲われて、バックランジに組み敷かれ家族はあきれているている状態。
不治の病だって言ってるのにだれも心配してくれない。
孤独な闘いは続く。
でも、ギブはしない。
☆ ☆ ☆
そのときに流れていた、桑田佳祐の「本当は怖い愛とロマンス」は、今日の私のお尻と腿の筋肉のことを歌っているのです。
実はバックランジの歌だったのだ。
♪誰かに甘えて見たくて ふざけて胸を撫でた
君も笑ってくれると いつものようなノリだった
今まで何をしたって 許してくれたじゃない
積もり積もった想いが きみの中で今 燃え上がる
本当は怖い愛とロマンス 突然キレておさらば
こんなに弱いダメな僕を 切り捨てる魔女のように
Beatlesの「Lady Madonnna」と「Ob-La-Di,Ob-La-Da」をベースに「Penny Lane」とWingsの「Listen To What The Man Said」のスパイスを加えてシェイクして出来上がったような曲。イントロのピアノのリフがすべてを言い表しています。