Miles Davisの「In A Silent Way」をガーミンに入れて40分走りました。
このアルバムはジョギングに最適です。
寒さの中ですが、音楽に包まれながら心地よく走れました。
家でもクッキング中に流しています。
南は学校から帰ってくるなり
「あっ、またMiles聴いてるんだ。代えていい?」と言いながら
すぐにRolling Stonsの「Hackney Diamonds」に差し替えます。
☆ ☆ ☆
最近、Miles Davisが聴けるようになりました。
ただ、ジャズに関しては何もわかっちゃいません。
Miles Davisを聴いていて「いいなー」と思えるようになったのです。
それでも私にとって大きな進歩です。
しかし、Miles Davisは元気で機嫌のいい時にしか聞きません。
彼の音楽は、ヘビーでエネルギーの放出が激しいので、
私の体調がすぐれないときはそれを受け止めることができないのです。
そうはいいながらも、読書やブログを書いたりするときに邪魔しないのは、YouTubeの川のせせらぎとMiles Davisなのです。
①Shhh/Peaceful
②In A Silent Way / It's About That Time
の2曲のみ。
<参加メンバー>
Miles Davis – Trumpet
John McLaughlin – Electric Guitar
Wayne Shorter – Soprano Sax
Joe Zawinul – organ
Chick Corea – Fender Rhodes
Herbie Hancock – Fender Rhodes
Dave Holland – Bass
Tony Williams – Drum
※ちなみに、1969年といえば、崩壊寸前のBeatlesが最後の絆を深めようとしてゲットバックセッションを開始したものの、George HarrisonがPaul McCartneyの口うるささに切れてスタジオを飛び出し、バンド継続に四苦八苦するPaulを横目にBeatlesに興味が失せたJohn Lennonはオノ・ヨーコと結婚。その勢いのまま「ベッドイン」をヒルトンホテルで敢行するなど幸せの絶頂にいました。バンドがダッチロールする中、名盤「Abby Road」はリリースされます。
一方、Rolling StonesはBrian Jonesがプールで溺死するという痛ましい事件がありながらも、その2日後にハイドパーク・コンサートを決行します。アルバム「Let It Bleed」とシングル「Honky Tonk Women」を全米のヒットチャートNo.1に送り込み、逆境を悪魔に売り渡しながら、この後「世界一のロックン・ロールバンド」の称号を得てより飛躍していきます。
☆ ☆ ☆
アルバム「In A Silent Way」は30分以上あるものの、使用している演奏時間は18分ほどです。
Milesが腕利きのサイドメンを寄せて、ちゃちゃっとセッションをやっつけて素材を提供しプロデューサーのTeo Maceroに後はテープ編集で適当にやっちゃってね、と任せきってできたアルバムです。
尺の足らなさに困ったTeo Maceroは、最初の4分10秒を後半の4分10秒にコピペしちゃいました。
そう、ズルなのです。
ライブ感が命のジャズ界ではご法度でした(過去に編集した音源が全く皆無ではなかったものの)。
ハリーポッターが学校の外で人間に魔法を使って怒られたように、当時はもちろん賛否両論巻き起こります。
16ビートのスぺ―シーなサウンドを作り、「時代の新しい細胞」として王道をはずれたのだから当然でしょう。
反感を承知で「いつまでもスタジオの中で4ビートやってろ、でもそれじゃあ食えないぞ」と生き残りをかけたのです。
※ちなみにBeatlesの「Abby Road」も曲が足りてない中でPaul McCartneyが小ネタを集めて見事なメドレーを仕上げました。
☆ ☆ ☆
60年代後半、Milesはロックやファンク・シーンへ興味を移します。
理由はロックがレコードの売上げと野球場をも満員にする観客動員をもって時代を切り開いていく中、相変わらず閉鎖的なジャズシーンに辟易していたからです。
ロックが儲かることにいち早く気づいたコロンビアは、ジャズのアルバムが6万枚売れたところで納得できなくなったのです。
大地震の中で眠ったままのジャズはレコード会社から否定されかけていました。
この頃のMilesは冗談なのか本気なのか、モータウン・レコードに移ろうかとすら考えていたと自叙伝で語っています。
それほどに会社への貢献度不足に追い詰められていたのでしょう。
そんな時に出会ったのが、”ビッチ”Betty Davisです。
彼女はMilesのトータル・プロデュースを、たった1年の結婚期間中に成功します。
JBやSlyのファンク・サウンドのミュージシャンやJimi HendrixやCarlos Santanaのギタリストたちを次々とMilesに引き合わせていき交流を深め、フェスティバルへの参加をも後押しします。
ついては彼のファッションにも口を出し手を加え、洗練の極みに引きずり出しMilesのオール電化を完成させます。
時代の旬を目の当たりに見せつけられたMilesは時代に乗ろうとします。
☆ ☆ ☆
ロックを小僧呼ばわりせず、Milesはそのテイストを貪欲に柔軟に吸収します。
生き残るにあたって何処にこだわればいいか、何を捨てなければならないかがわかっていないとできない芸当です。
成功者にすり寄ればできるお話ではありません。
おりこうで感がいいのです。
その感のよさはミュージシャン選考に顕著です。
今回のアルバムにはギターのJohn McLaughlinのノリが必要だと思い、半ば強引に自宅へ呼びつけます。
ギター持って家に来いとだけ言われたJohn McLaughlinはまるで何がなんだかわかっていませんが、ひと回り以上も年上でかつ相手はMilesなのです。
とりあえず緊張しながら訪ねます。
すると、Milesは緊張するなといいながらも、あーしろこーしろと注文をつけ、John McLaughlinは言われるがままにギターを弾かされたあげく、本人の意思に関係なく合格を言い渡します。
さすが「帝王」。
John McLaughlinのギータープレイに相性のいいTony Williamsの16ビートのドラムは、打ち込みのループかと勘違いするほどの正確さとノリの良さは、高度なナノマシンです。
映画「セッション」の鬼教官テレンス・フレッチャーが聴いても絶賛することでしょう。
加えてクロスリズムの複雑なMilesの考える独自のグルーブ感を表現するのには、トリプル・キーボードが必須でした。
出来上がりは予想通りでした。
キーボード・トリオの自由なプレイとJohn McLaughlinのギターが、ジャズの遺伝子コードを広く広く書き換えていきます。
Dave Holland の ベースとTony Williamsのドラムは、Milesの考えるジャズの進化過程でのミッシン・グリンクを引き受けます。
各々のミュージシャンの役割分担が明確な「In A Silent Way」は、後にフュージョンの幕開けと言われるアルバムとなり、アルバムの参加ミュージシャンは全員その申し子となっていきます。
☆☆☆
Wayne ShorterとJoe Zawinulは翌年の1970年にWeather Reportを結成します。
今回のアルバムの参加メンバーはWeather Reportの結成後には何らかの形でサポートに回っていきます。
始まりはJoe Zawinulが書いたアバウトでマニアックなコード進行を、Milesが聴きやすくアレンジしたことからでした。
俺たちが判ればいいんだというジャズの自己満足の世界から脱するために。
とはいえ、このアルバムはJoe Zawinul色満載です。
初期のWeather Reportの萌芽が見え隠れします。
そういう頭でWeather Reportを聴き直してみると、「スター・ウォーズ」を「エピソード1:ファントム・メナス」から順にみ直したときのように、違う発見があるものです。
歳をとったら食べ物の好みが変わるように、音楽の好みも変化するのですね。
私にとって「In a Silent Way」はMilesにはまる転機となりました。
次は「John Coltrane」を狙っています。
<参考文献>
・マイルス・デイヴィス自伝
・マイルス・デイヴィス自叙伝①②
・マイルスデイヴィス大辞典
・M/D
・マイルス・デイヴィスの真実
・50枚で完全入門 マイルスデイヴィス